kenji ayabe

NOTE

海の羽さばき

海底にあるのは、

私の命の鼓動。

 

八景島を訪れた。

息子と妻とで3人の散策旅。

 

私の繋ぐ手が、こどもで一杯になってから、随分と出かけることが増えた。毎月のように水族館へ行っては、「シャーク!!あれベイビーシャークだね!!」「いや、あれはグランパ(おじいちゃん)じゃない?」という会話を楽しんでいる。

できるだけ、自然環境や生態に興味をもってもらいたいと思っている。福岡伸一先生に息子の名前をサインしてもらった本を、机の一番目立つ場所に置くような学生生活を送ってもらえたら本望だ。

 

 

私は中学生の頃から既に、社会が嫌になっていた。

自分の背中に、電光掲示板を背負って、そこには自分の人生が「何点」であるかを煌々と照らして欲しいとねがった。つまり、自分が何点であるから、何も期待しないで欲しいと。他人にわざと良い顔、悪い顔をすることが面倒であった。

つまり、今現実に中国で行われている「信用スコア」みたいな物をゼッケンに書いて置きたかった。母親が溜息を吐く回数がずっと減ったかもしれない。諦めの標榜だ。

中学校卒業間近、自分が社会環境と接点であったバンド。そのメンバーがひとり死んだ。彼はベースを上手く弾いていたし、僕よりもずっと音楽について愛を持っていた。

 

 

海底を泳ぐ、おぼろげな記憶の中で、僕は音楽を愛してはいなかった。そこに流れる、柔らかく、透明で、美しい時間と恍惚さを愛した。

30歳になって、中学生で組んでいたバンドのもうひとりが死んで、残りはよにんになった。私はお焼香を終えた途端に嗚咽をはじめ、近くにいた他のメンバーの胸を借りた。静寂の中で、雨に打たれるように泣いた。

私の永劫に輝かしいバンド体験は中学生で終えているのかもしれない。素晴らしい人物は短命で、残された人間は愚かしく、産まれる命よりも、死ぬ為の環境を整えては、自然環境を汚し続けている。日本の政治に唾を吐いた切手で手紙を書きたいが、私は宛名の住所がわからないでいる。歳をとっても知恵のない大人になってしまった。

だが、しとしとと雨が、柔らかく私を包んでいる。どこで何をしていても、それは私を生かす水分と養分のように、それを享受している。それが心地いいのだ。柔らかく、透明で。

海底に泳ぐ 身体のない羽よ。

私をどこへ 漂流さすのだろう。

Kenji Ayabe

 

2019.12.02

 

書こうと思ったきっかけは、なんだったろうか。

引っ越して、新しい本棚を組立て、古い本たちを納め、写真集の表紙を眺めたり。

千葉にある亡き祖母の家をリノベーションに毎月通い、その度に全身が筋肉痛になって翌朝を迎えたり。

息子は来月で3歳になる。彼と遊ぶのは愉快だ。すでに新しい友達ができたような気もしている。

あと10年もしたら、きっと仲の良い姉妹のようになっているかもしれない。兄弟より、ずっと仲が良さそうじゃないか。

須藤がユニゾンのこうすけとバンドを組んだらしい。らしいと言うにも白々しいのだけど、発表の前の日にこうすけからメールがきた。

僕はすぐに「じゃあ僕は、貴雄と何を始めようか」とでも返信をしようと思えたのだけれど、思い留まって、それから1週間過ぎても思い留まってしまったまま、他に何も感想を持つことが出来なくなってしまった。

冬がきた。

こんなふうに、自分の思いの丈を書くことって、本当に楽なことだ。いつか、久美子さんが金夜で詩に書いた「排泄」によく似ている。

そもそも、僕はキャッチボールを望んではいなかった。実際野球は苦手で、親友とよく行ったバッティングセンターで彼は110km/hの球のバッテリーの扉を開けたが、僕は90km/hだ。

金属バットが重いせいで、空振りをした後の格好が余計に悪かった。ホームベースの左側で少しはに噛みながら、歯を見せたまま一回転をした。バツの悪いポーズを見せるので精一杯だった。

11月14日に、僕が唯一Twitterでフォローしている旧友の、6回目だったかのお墓参りだった。例年、秋晴れが続いている。今年は初めて妻が同行してくれた。

彼が僕から受け取った、最後のMessageはこうだ。

<ぼくは、どんな歌詞を書いたら良いんだろう。 なにひとつわかっちゃいない>

そして、読んでもらえなかったMessageはこうだ。

<自分ソロアルバムの新作が間もなく出来るのだけれど、良かったら聴いてくれるかな。12月17日に発売になるんだ。>

彼は中学時代に初めて組んだバンドのリーダーで、ギタリストだった。僕は、彼の足元にも及ばなかった。そして、彼は白血病になり、今でも死に続けている。

書こうと思ったきっかけは、なんだったろうか。

そういえば、親友がふたたび花火師になった。これは素晴らしいことだ。

生きていて、新しい朝を迎えに行くなら、

それは素晴らしい。

綾部健司

 

高橋・綾部の『金夜に会いましょう』を開催します。

作家 高橋久美子さんと、

毎月どこかの金曜夜に、

詩会を催すこととしました。

一般公募の詩もありますし、

ぜひ一席ご参加ください。

初回は大感謝の予約満席となりました。

 

Kenji Ayabe

早朝と令和

今朝6:00に目が覚め、

すでに登っている朝陽が、

出窓に差し込んでいるのを、

ベッドから眺めた。

 

令和という元号に、

友達の友達の、息子の名前のような

玄関を出て3駅先にある、

新しく建った商業施設のような距離感より、

目の前の、5月に咲く心地よい風に、

立派な原生の象徴を感じている。

 

「風はどこから生まれるのか?」

という大海原に船を出す問いに、

2歳の息子には早めに気付き、

真剣に航海してほしいと思いつつ、

また「電車とバスの博物館」に二人で足を運んでしまった。

が、2回目の来訪を彼もそれほど喜んでいなかった。

 

自分の未来を切り開くのに

もっとも重要なものは、

どんな「問い」を持つことか。

 

世界より広いのは、

人々の想像なのだから。

 

Kenji Ayabe

4月 備忘録

 

冬がおえ

春がくる

 

U&DESIGN

 

2018年10月某日

彼らの意向を持って、U&DESIGNを散会することにした。

私は半年前には、今とはまるでちがう結末を用意していた。

 

昨年末、空々しい日々を送る中で、

私は来る日も、柄でもなくアルコールを摂取しながら、

この違和感のある顛末に溺れる様にして

胸苦しい思いに患っていた。

 

多くの関係者に解散を伝えてた後も、

体のいたる所に刺さった、影の深い棘に悩まされた。

 

そんな日々を送る中で、

大先輩のドラマー脇山広介さんと定期的に、

24時を超える様な時間を過ぎても、

スイーツと珈琲を口に頬張りながら、

胸の開いた穴に、冬の冷たい風が通り過ぎるのが、

心地よくなるまで来る日も語り尽くさせてもらった。

 

私は、一方通行に年を重ねて行く。

自然の営みの中で、

それに抗うことはやめようと思った。

 

解散を約束したまま、2019年が始まり、

私はこの違和感の結末よりも、

自然に身をまかせる方法を探した。

 

つまりは、冬の後に、春が来るように、

新しいU&DESIGNとしての新曲作りに挑戦しなければならなかった。

 

毎日、日が昇る前に起き、

珈琲を飲みながら、

未来に待つべき春の風を感じた。

 

一つのDEMO(春)がやってきて、

私はようやく決心することができた。

U&DESIGNを私が残すことにした。

 

どうぞ、これからも

素敵な日々を一緒に過ごせていけたら。

 

Kenji Ayabe

 

 

 

 

 

 

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