kenji ayabe

LETTER

太鼓の遠鳴り

わたしは、わたしを背負っている。

読書体験や、音楽体験が招いた、

美しく、命を灯した芸術の知恵を。

 

7月15日22時

私は国会議事堂前で、私にしか届かないような小さな声を出していた。

辺りは炭酸水をそそいだ満員電車のような熱気が湧いていた。昼間にネット中継で見た、安保法制の強行採決の映像を見て、議長が何か声を上げるごとに、ゴム製のハンマーで胸をドンドンと叩かれた思いは、何故かここへと足を運ばせた。

桜田門駅で下車し2番出口の階段をあがる。遠くの方から盆踊りのような太鼓の音が幾重にもなって聴こえてくる。電車の中で調べておいた方向へ身体を向けた瞬間、霞ヶ関の夜の街灯に浮かぶ不審な人影が多くあるのがみえた。

国会前交差点といっても、まだ200mほど離れたスクランブルには警察官が、負け越しのオセロのようにびっしり配備されていた。時間も遅いしことだし、川上から下ってくる人を目印に探して、鮭のように少しずつ会館へと近づいていった。

3合目あたりに差し掛かると、ひとかたまりの演壇が声を合わせていた。「戦争反対」「安倍は辞めろ」「国民なめんな」「採決撤回」というかけ声と太鼓がスティーブ・ライヒのような反芻ビートを鳴らせていた。私が私の言葉のライブラリーに保存した中でも、喋り言葉として区分けされなかったそれらのワードは、なかなか思うように口には出せなかった。ただひとつ「集団的自衛権はいらない」という言葉を抜かして。

最前線までとうとう来てしまった。私のように、未だもって今回の真実はどこにあるのかなどと、辺りを不安げに見回している人などどこにも居ない。コントロールのきかなくなったゲームギアの十字キーのようにただ立ち尽くしながら、演説をはじめている北海道大学の学生の勇敢な姿を、空白の中で見つめていた。

家を出る前に、与党を応援する母に送りつけてしまったメールの返信が来ていないことを急に思いだして、胸がまた痛みだした。母が博士号を授与されて長い仏教の、師と仰いでいる方の1990年代から2010年代までの提言や講演内容を漁り、ずいぶんとあげ足を取ってしまった。親に政治の話しをするのは、随分と親不孝な気分がした。(気が動顛した余りに、防衛装備移転三原則も、特定秘密保護法をも棚にあげたことが、自分を悦に浸してしまったようで居場所が悪かった)

携帯の予報通り雨が国会の前に降ってきた。左にいた20代の女性ふたりは、ひとつの折りたたみ傘のなかで、一度止んだビートを声高らかにまた刻みだした。私は鞄に入った傘を出さずに、そのまま雨にあたっていた。軟弱なようで恥ずかしかったこともあったが、なにより熱せられ過ぎてしまったこの最前線には、気持ちが良かった。私だけでなく、なんだか安堵感が周囲を包んでいたように見えた。

ウォーキングシューズの機能を無用とした90分間がたってその場を発った。私は自分の中に作られた言葉以外の言葉を喋るのは嫌だったが、かといって、それ以外の真実の言葉も見つかっていなかった。強行採決前の最後の質問者赤嶺議員は、その最後で資料請求の話をあげたが、その通りに少なくとも私には国会議員が考えるべく共通の問題用紙が届いていなかった。私は感じる国民だが、考える国民に当たらないのかもしれない。

 

Kenji Ayabe